カランタニア

ハルシュタットの桶(紀元前6世紀)は、現在のスロヴェニアの地にケルト人文化が栄えたことを物語る。

リュブリャーナ市はローマ帝国時代の名をエモナと言った。市の周りに建築された当時の壁の一部

 現在のスロヴェニア領土に今まで居住した様々な民族は、ノリク人、イリリア人、ヴェネティ人、ケルト人、古代ローマ人、そして紀元500年頃ころからの民族大移動の時期にはスラブ人が周りを圧倒しました。 しかし、これら様々な民族の一体どれくらいが最終的にこの地に残ったのか、歴史的に解明できる物は残っていません。いずれにしても、紀元6世紀頃にはモラヴィアを通って東アルプスに移住してきた西スラブの一族が、 ドナウ川からウィーンとリンツの間、そしてザルツブルグ近郊のタウエルン峠からアドリア海のトリエステまでの一帯を支配するようになりました。
 定住当時は現在のスロヴェニアの領土の三倍に及ぶ領域に約20万人が暮らしていたといわれます。東からのアヴァール人、そして北西からのバヴァリア人に対抗するため、紀元620年頃に、現在のオーストリアのケルンテン州 にあるクラーゲンフルトの平地を中心としてスラブの公国カランタニアが統合されました。

 745年にはフランク王国の支配とキリスト教を受入れ、西ヨーロッパ文明の一部として発展していくことになります。
 869年から874年にかけては、東側のバラトン湖周辺まで治め、スラブ語によるキリスト教礼拝とスラブ文字を導入した君主コーツェル(スラブ人)の下で再び独立し、その後は千年もの間カール大帝やそのドイツ人達の 帝国の下で忘れられた国となっていました。


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