マリボール
(人口108000人)(地図C1

スロヴェニアで二番目に大きな都市はマリボールで、その起こりは丘の上のピラミッドと呼ばれる城塞です。 この城は、ドイツ名でマルフブルッフと呼ばれましたが、それは辺境地の城と言う意味で、その後に出来た城下町の名の由来も同じです。 ドラウ川に沿って(写真上)発達し、1254年に都市権を得ました。
 この町は手工芸の町で、商業も発達していました。18世紀までは、複数の見張りの塔が聳える防壁で囲まれていました。 これらの塔のうち、今はワインセラーになっている水の塔、裁きの塔、チェリギの塔、ユダヤの塔の四つは現在も保存されています。 ユダヤの塔の周辺は、15世紀末まで、ユダヤ人街で、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)は今も残っていて、後に諸聖人教会になりました。 この教会のある地域は、地元の人達にはレント(写真右)と呼ばれていますが、かつて、ある時期にはドラウ川のベネチアと呼ばれ、むかし、 筏や箱船、貨物運搬用の小船などが発着した船着き場だったところまで延びています。レントはまだ整備が完全に終わっていませんが、 マリボール市内でも最も魅力的な地区の一つになっています。ヴォヤシュニコヴァ通り8番地のレストランの前には、スロヴェニアで、 そしてヨーロッパでも最古の樹齢400年と言う葡萄の木が植わっていて、今も葡萄を実らせています。そして、毎年60リットル以上の ワインができます。
 マリボールの町にはかつて三つの城があったと言われますが、二つはなくなり、残った一つの中心部は15世紀のゴシック後期のもので、 今は、地方博物館として貴重なコレクションを所蔵しています。この城は、建築学的に大変珍しいロレタ風礼拝堂、スタッコ細工や壁画で 飾られた騎士の広間、バロック後期の階段の間などがあり、城の前の広場には、数年前に修復・復元された17世紀のフロリアンの柱が立っています。 この町では、二番目の大きさの広場アントン・マルティン・スロムシェック(ラヴァンティンの司教区をマリボールに移した司教)の 名のつく広場には、1517年のゴシック様式の街灯が立っています。使徒ヨハネ大聖堂には、貴重な石細工ゴシック彫刻があり、多くの墓碑や バロックの飾りに囲まれています。
 町の最も古い地区にある中央広場では、1743年から伝えられ、最近美しく修復されたバロック風彫刻のある疫病記念碑に目を 引かれます。広場の真ん中に祭壇のように聖母マリアを載せた柱の周りは、六体の彫刻が取り囲んでいます。この記念碑の後ろには、バロック様式の アロイズイ教会と、石造りのバルコニーに市の紋章が目立つ旧市庁舎で、現在は造形サロンになっている建物があります。 紋章には、市の防壁と開いた門、その上に鳩がデザインされています。
 マリボールは、すでに1950年代には、工業の町、労働者の町として知られ、今日まで発展をしてきました。ドラウ川には、新しい橋が 架かり、市の中心には、ポスト・モダン派が近代的バスターミナルを建設しました。マリボール大学の工学部と経済学部は、大学図書館と共に 、市の中心に出来た新しい建物です。

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