ノヴァ・ゴリツァ
(人口14700人)(地図A3

 ノヴァ・ゴリツァの始まりは、1947年にパリ和平条約のもとに引かれたスロヴェニアとイタリアの国境線に端を発します。 この境界線は、それまでのゴリシュカ地方の商業生活のまとまりを二分する事になりました。スロヴェニアはゴリツァの町を 失いましたが、間もなく、国境のこちら側の「荒れ野」と呼ばれる、背の高い雑草に覆われた湿地帯に新しい町を建設する事が 決定されました。湿地のひどい部分は干拓され、1948年には初めてのアパート住宅建設が始まりました。
 こうして、ノヴァ・ゴリツァは公式には1949年に住宅地として登録されました。その後急速に発展し、ソーチャ川周辺地域の 中心地となり、ソシュカの谷とヴィパヴァの谷を結ぶ道路・鉄道の交差点として成長しました。
 町から南方に見えるコスタニェヴィツァ(写真上)には、ブルボン家の代々の王が葬られている大きな フランシスコ修道院があります。東にはゴリシュカ博物館があるクロンベルグの丘が迫り、北には聖カタリーナの丘に 見晴台の有るレストラン「ケケッツ」があり、西側には国境を境にノヴァ・ゴリツァとスタラ・ゴリツァ(古いゴリッツァ)が 隣り合っています。二つの町は国境で分けられていますが、様々な文化行事や友好関係でつながっています。
 ノヴァ・ゴリツァにはスロヴェニア最大のカジノ・ハウス「ペルラ」が建設されてから、隣国のイタリア人が 好んで訪れる町と成っています。

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